・・・というタイトルですが、ノルウェーのOktober=10月に滞在したことがあるのは、1995年、1999年、2007年と2008年の4回だけです。タイトル詐欺?
1995年と1999年はノルウェーの大学に留学していた時でした。8月中旬から留学が開始し、最初は右も左もわからず「生き延びるだけで必死」な時期を経て、10月になると少し落ち着いた頃でした。
と同時に「ノルウェー語、全然分からない。上達しない。」と焦りを感じたことも覚えています。あと、段々と日が短くなるのが実感できて、迫りくる長くて暗い冬を予感した時期でもありました。
2008年10月に渡ノルした際は1995年-96年まで留学した西ノルウェーの田舎町Voldaを訪れました。恩師のReidun(ライドゥン)先生がよく「Voldaに来なさい」と言ってくれたので、ついに実行に移したのです。
ノルウェーは日本に比べて鉄道網が乏しいです。Voldaには鉄道が通っておらず、オスロから長距離バスまたはプロペラ機で行くしかありません。このプロペラ機は留学時に何度か乗りましたが、元々、飛行機が苦手な人間にとって恐怖以外のなにものでもありません!運を天に任せて、エイやっと乗り込みました。
高度低めの飛行なので、景色がよく見えるのは数少ないメリットかも。こんな感じです。
Reidun先生は熱烈歓迎をしてくれて、お宅へ行きました。留学時もクラス全員を招待してくれたり、何かと孤立しやすい外国人に「ノルウェーらしさ」を体験させてくれました。
居心地の良いリビングでたくさんのワッフルとお茶をいただきながら、留学後のライフストーリーを話しました。ノルウェー語を仕事にしていることを、以前よりは上達したノルウェー語で伝えると、Reidun先生は「素晴らしい!」ととても喜んでくれましたね。クラスで唯一のアジア人で授業についていくのが必死だった私を知っていたので、余計に感慨深かったのでしょうか。
Reidun先生は、夕方にボランティアに行くから一緒に行こうと誘ってくれました。
そして町の中心地にある介護施設へ向かいました。そこではReidun先生がBesøksvenn「訪問の友達」になっている人がいます。定期的に高齢者を訪ねて、おしゃべりの相手になるというボランティアなのだと段々と理解しました。その高齢女性(お名前失念)は私の突然の来訪を歓迎してくれ、Japanについて質問をしたり、自分が持っている知識を話してくれました。90代の方でしたが、とてもお元気。Reidun先生と良好な関係であることは一目瞭然でした。
訪問を終えて、Reidun先生の夫や当時のVoldaカレッジで日本語教師だったテンギョウさんを交えた楽しい夕食会も懐かしい思い出です。
翌日。懐かしいVoldaカレッジを訪れました!キャンパスはリニューアルされ、教室やカフェテリア、図書館も新しくなっていました。「今の学生はいいなぁ」と羨ましいなりましたね。Reidun先生と一緒に外国人にノルウェー語を教えている先生とご挨拶しましたが、2008年の時点では中国人留学生がとても増えたと教えてくれました。私が留学した1995年は、旧ユーゴの内戦の影響でボスニア人留学生が多かったのですが、その時々で留学生の国籍に変化があります。
それから2年後の2010年。ついにReidun先生が来日してくれて、「ノルウェーについて学ぶサロン」に登壇して下さったときは感無量でした。
先生はたくさんの国籍の学生たちと知り合い、異文化にとても興味を持っています。また異なる国籍の外国人がノルウェーのどんなところにカルチャーショックを受けるかということにも関心があり、著書を出版されました。
いずれにしても、今でも私がノルウェー語にこだわり続け、生業としている原点はVoldaカレッジでの体験が大きいです。人口8000人の田舎町ゆえ日本人は誰もおらず、ひたすらノルウェー語に向き合わざるを得ない環境は貴重でした(当時は泣きそうになったこともありましたが・・・)。Reidun先生とは今でも時々メールのやり取りをしていますが、「Voldaにはいつ来るの?」と聞いてくれるのが嬉しいですね。Vi ses en dag!「また会いましょう!」
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