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Hans先生の訪問(Part1)

コロナ以降、めっきりお客さんが訪れなくなった我が家ですが、久しぶりにノルウェーからの訪問がありました!
お客さんの名前は、Hans-Jørgenさん。ずっとHans先生と呼んでいます。直接お会いできたのは・・・26,27年ぶりでしょうか?
Hans先生との出会いは1994年にさかのぼります。

1992年「運命の」オーロラツアーを体験し、93年にはフィヨルドツアーでさらにノルウェー好きになっていました。
1994年「これからもノルウェーへ旅行をするからノルウェー語でも習ってみよう」と考えました。書店で本を立ち読みし、ノルウェー大使館の電話番号を調べました。まだネットが普及する前のお話。
ノルウェー大使館に電話をしてノルウェー語が学べる語学学校が四ツ谷にあることを知りました。
1994年春、語学学校でノルウェー語を学び始めます。クラスメイトは6,7人。その時の講師がHans先生だったのです。

Hans先生は都内国立大学の留学生でした。「日本語が話せるノルウェー人、すごいなぁ」と感心したことを覚えています。
ノルウェー語をゼロから学び始めましたが、最初のうちは「簡単」と思っていた私。今なら「簡単じゃないよ!」とツッコミたくなります。レッスン時に、同じノルウェー留学生のUnniさんを連れてきて下さったことがあり、Unniさんとも親しくお付き合いしました。
繰り返しになりますが、ネット普及前の時代。北欧ブームもまだ訪れていません。そんな時、Hans先生やUnniさんという本物の(!!)ノルウェー人とお付き合いできることは、すごく贅沢な体験でした。

Hans先生の授業はテキスト通りではありませんでした。ノルウェー語の作文を書くという課題があり、ノルウェー語の人称はjeg「私」やdu「あなた」といった人称表現が日本語より少なくシンプルだと書いた記憶があります。のちに大学教授になったクラスメイトは「日本は戦後、福祉国家になる道をあまりに早く諦めてしまった」という趣旨の作文を書いていて、ノルウェー語スキルもさることながら内容に驚きました。Hans先生は褒め上手で、学ぶモチベーションが上がるレッスンが印象的でした。

Hans先生やUnniさんからノルウェーの暮らし、国民性といった話を聞いてみるとノルウェーへの憧れが募り「旅行以上の体験がしたい、少し暮らしてみたい」と考えるようになりました。「留学」を思いつきましたが、ネットのない時代、情報収集は「紙ベース」でした。いわゆる「語学留学」が存在しないと分かった時の失意。大学かfolkehøyskole(フォルケ)への留学しか選択肢がないと分かりました。ノルウェー大使館から大学とフォルケの薄い英文パンフレットをもらい、Hans先生やUnniさんと相談しながら、留学先を検討しました。ノルウェーのフォルケは若い子が多くて、もう26歳になっていた私には厳しいかも?と言われて、大学中心の申請を考えました。外国人学生のための1年間コース(ノルウェー語と社会科)が、Høgskulen i Volda(ヴォルダカレッジ)とHøyskolen i Telemark(テレマークカレッジ)にあると教えてもらいました。Hans先生、Unniさんの手助けを受けながら、両校へ必要書類を郵送しました(今は全部ネットで申請できます)。ただ両方ともダメだった場合に備えて、全員が入れるフォルケにも申請をしました。1995年の冬のことです。

待てど暮らせど大学からの返事が来ない。勤務していた会社には「ノルウェーに留学するので夏で辞めます」と言ったはいいものの肝心の留学先が決まっていませんでした。
こんな状況で、Hans先生やUnniさんに助けてもらいました。思い切って大学に電話をかけてもらい(当時の国際電話は高かった・・・)、実は高倍率の志望先だったと分かりました。「ノルウェーに留学したい人がそんなにいるの??」とまず驚きました。ですが「大学の人、すごく感じのいい応対だった」と教えてもらい、しぼみかけた熱意が少し膨らみました。
GW頃にまずVoldaから、そしてTelemarkから入学許可書が届きました。そこからの展開は今まで何度も書いたりお話ししているので割愛します。

留学を終えたHans先生はノルウェーに帰国、日系旅行代理店に就職しました。あれだけお世話になったのに、段々と音信不通となって時が流れます。
昨年、共通の知人が私たちの仲を取り持ってくれて、再び、コンタクトができるようになりました。最初はメールのやり取り、そしてオンラインでプライベートレッスンを受け始めました。画面越しに見るHans先生は白髪になっていたけれども、昔と変わらず誠実そのものでした。1月のレッスンで来日予定があるので、私と会う時間を作って下さると聞き、ÅÅÅÅÅÅÅとテンションUP。
拙宅でお迎えすることになりました。お客さんが大好きな夫も大喜び。家を大掃除し、料理の準備をしてくれたのは夫でした。私はというと・・・・認知症の父のせん妄が一気に悪化。ケアマネさんの判断→入院決定→姉の帰省というお客を迎えるのに最悪のタイミングと重なってしまいました。姉からの緊迫したメッセージを受け取りながら、Hans先生との待ち合わせ場所へ向かいます。

Hans先生を待ちながら

Hans先生を待ちながら

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